川崎区「星乃湯」わが家のルーツ−−−

はじめまして、稲田組合 井田組合長からご紹介頂きました、南部支部の星野でございます。 

さて、私の銭湯、『星乃湯』は私の代で3代目となりますが、今回は、我が家のルーツ、祖父についての
お話を少しさせて頂きます。

明治生まれの祖父は、幼少期を新潟県内の山深い農村で、冬は2階屋根が埋まるほどの豪雪地帯に
育ちました。学校を卒業すると直ぐに、「一旗揚げるぞ!」「何時か故郷に錦を飾るぞ!」と言ったかどう
かは、定かではありませんが、村の仲良し2人と共に上京します。

伝を頼りに、一人は中華料理店、一人は日本そばや、そして、祖父は銭湯にとそれぞれが所謂
‘丁稚奉公’に入ったそうです。

その後祖父は、埼玉、神奈川、東京で、番頭勤めをしたり店を借り受けたりしながら、太平洋戦争、
末期の昭和19年に現在の川崎のこの地に移ってきました。そしてまもなくの昭和20年4月15日の
‘川崎大空襲’で店は焼失してしまったものの、幸いにも、釜と煙突が助かった為、何とか周りを囲って、
暫くの間、露天風呂ならぬ全てが野天の‘野天風呂屋’を営んでいたそうです。

戦後復興、高度経済成長と共に浴場業界も好況期を迎え、嘗て自分たちがそうであったように、
故郷の親類縁者の若者たちの働き口として、また冬、豪雪地帯の故郷の人たちの出稼ぎ口として、
大勢の方たちにお手伝い頂きながら、お店も、順調に推移していきました。

しかし、祖父は永年の苦労がたたり、晩年は病気がちでした。
そんな祖父も私が小学生の時、祖母は高校生の時に他界し、今では、祖父達が嘗て一緒に上京した
仲良し2人と共に、生前、3基並んでもとめた都内のお寺の墓所に眠っています。

明治、大正、昭和、戦前、戦中、戦後と、まさに今考えても激動の時代を、片田舎から身一つでここまで
やってきた初代の苦労、その苦労を見ながら努力してきた2代目に恥じぬよう、地域の皆様方の身近な
憩いの場として、末永くご愛顧頂けますよう、これからも一生懸命努めて参りますので、今後とも宜しく
お願い致します。



次回更新をお楽しみにお待ち下さい。

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